3/27 経済成長か人間性か
 〜イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンのインタビュー記事を
           読んで考えたこと〜
アガンベンは資本主義を経済思想と言うより宗教だと言っている。宗教ということは みんなが信じて、その戒律を変えられないものと思い込んでいるということなのでしょうか。 私にはまだこの意味がよくわかりません。
しかし経済成長を取るのかそれとも人間性を選ぶのかと 問われたら私は勿論、人間性を失いたくないと答えたいです。
たえまなく経済成長を追い求め、いつも追われるように走り続けて、 寛容さを失い、疲れているのが私たちの現在の状況であると思います。
アガンベンは資本主義が見ているのは世界の変容ではなく破壊で、それは資本主義が「無限の成長」を 追求しているからだと言っています。「無限の成長」などあり得ないと私も思います。
どんなことにも限界がある。それを越えることは何か大いなるものを踏みにじる気がする。人間には 節操と節度、倫理が求められているのでは。このグローバル時代にこそ、それは一層、人間に求められることでは ないでしょうか。私たちの行為が世界に影響する時代なのです。

アガンベンが言っています
「銀行はクレジット(信託)、つまり人間の信用、信仰を操り、ゲームを楽しんだ。銀行が世界を支配し、 人びとにクレジットを持たせ、それで払わせようとする」
先日の講演会で経済学者浜矩子氏が金融が人間の信用からカジノ金融になったと話されていたのを思い出しました。

また、アガンベンは「人間性のアメリカ化が生まれつつあるのでは。人間性のアメリカ化とは アメリカは歴史が浅く、過去と対峙しない国、資本主義という宗教の力が強い国であり、 過去を顧みない人間のありかたで良いのであろうか。それとも別の道を行くのか」と


人間を金の支配から解放することができるのか。それは私たちが何を選ぶかで決まると思います。
そして私たちはあまりにも過去から学んでいないのかもしれない。過去を学ぶことは想像力を刺激し、 過ちを未然に防ぐことになるだろう。これは原発事故にも言えるでしょう。
チェルノブイリ、スリーマイル島の事故に学んでいたら、原発への対応もずいぶん違ったものに なっていただろうし、もっとさかのぼって考えれば広島、長崎の核爆発の被害を被った日本の 原発政策も違ったものになっていなければいけなかったのではないでしょうか。

ハナ



3/18 ジョージ・クルーニーの拘束
米俳優ジョージ・クルーニーが16日、ワシントンのスーダン大使館で スーダン政府に抗議行動中に拘束されました。 クルーニーの父と下院議員も拘束され、 大使館敷地からの退去勧告を3回受けたのに無視したことが 理由だと報道されています。3時間後には罰金100ドルを支払い、 釈放されました。
そして彼は「スーダン政府は女性、子どもなど 罪のない自国民の無差別な殺害や強姦をやめるように、 国民をうえさせないように」と訴えたと報じられています。

彼はスーダンから帰国したばかりで2日前の14日には上院公聴会で 現地の状況を証言し、スーダンの人権状況改善を訴えていました。
「かっこいいー クルーニー」顔もいいけどすることも恰好いいですね
アムネスティ・インターナショナルも以前からスーダン問題を 取り上げてアクションを起こしていました。 スーダンは南スーダンと二つに分かれましたが紛争はおさまっていません。 武器規制が実施されていれば事態はちがったものになっていたでしょう。
どんな所でも紛争、戦争がおきればいつでも一番犠牲になるのは 子どもと女性、力の弱いものがなります。
ハナ



3/12 わたしは何に見えますか?
この写真の3人の人は何をしているのでしょう。
写真では見にくいですが次のように書いてあります。

He`s done nothing. He`s just showing Amnesty`s phone number.
Discriminating is not human. Denounce it.

彼は何もしていません。
彼はアムネスティの電話番号を見せているだけです。
差別は人間的ではありません。それを告発しましょう。






ハナ





3/8 カンヌ国際クリエイティブ祭受賞作品
アムネスティの作品がカンヌ国際クリエイティブ祭2011のGold賞を受賞しました。
同一人物の顔写真が上下に並んでいます。上の写真には「警察が撮った写真です」 下の写真には「アムネスティが撮った写真です」 というキャプションがつけられています。
上の写真はいかにも犯罪者のように撮られ、下の写真は普通の人に写っています。 警察が犯罪者とみなした人が、必ずしも犯罪者とは限らないということを表現しているのでしょう。
下の写真は歳をとってきているので、長年、冤罪で収容されていることもあらわしているのでしょうか。

カンヌ国際クリエイティブ祭2011Gold賞受賞作品

     


ハナ




3/1劉暁波の椅子

この空に伸びてゆく椅子はだれの椅子でしょう。
アムネスティがオランダのデザイナー マーティン・バース氏に依頼してできた椅子です。 アムネスティは深刻化する作家、ジャーナリスト、芸術家、活動家に対する弾圧への抗議 活動としてデザインを依頼したのです。劉氏がノーベル賞授賞式に出席できなかったことを 表現しています。高さ5m。自由をどこまでも希求していく意思が見えます。 事実を思念をこのような形で 表現する芸術家の仕事は素晴らしいですね。
dezeenを参照

ハナ



2/23 シャルル・フーリエを知っていますか
私は、仏文学者の鹿島茂が新聞に書いている記事を読んで 初めてフランスの社会思想家フーリエを知りました。自分の知識不足をいまさら嘆いても 始まらないが、こんなにもすごい人、先駆的な人が1800年代に存在していた ことに驚きとともに感嘆しました。
フーリエは
「自由な状態にある女は、体力を要しない仕事であるかぎり、 精神ないし肉体のあらゆる機能において男性を凌駕するであろう」と
現代いおいてもまだこれを認めたがらない人びとが存在していることを 考えると、今から200年も前にこのように喝破していた人がいたことは ほんとに驚きだ。
フーリエは
「最良の国民とは必ずや最高の自由を女に与えている国民である。 最悪の国民とは必ずや女の奴隷化をつのらせてきた国民である」と
この言葉を顔の前に突き付けたい政治家とか男がいませんか?
またまた、すごいですよ。
「社会が進化すれば1夫1妻制は崩壊し、ユートピア的にリニュアールされた 1妻多夫制が誕生するだろう」と
このように進化してきたらあらゆる方面からの(権力を持った男性社会から) 反撃があの手、この手でなされるだろう。
フーリエに興味が湧いてきたが難しい本なんだろうなあ。
「四運動の理論」という本がでているようだが、とても私の頭では 読み切れそうもないと想像される。
鹿島先生のおかげでフーリエの思想の一端を知ることができただけでも 良かった。

ハナ




2/19 めじろ
この季節、毎年めじろが庭にやってくる。
みかんを半分に切って庭の木と針金でつくったエサ台にさしておく。 これを目当てにめじろが始終やってくる。1日みかん1個では物足りないようだが こちらの都合もある。ひよどりがくるとあっという間に食べつくされてしまうので ひよどりがくると追い払う。ひよどりにしたらなぜ差別されるのだろうと 思っているのかもしれない。
ひよどりがくるとめじろはすぐ逃げてゆく。 ひよどりを追い払うとどこで見ていたのかすぐめじろがもどってくる。

めじろにもいろいろな性格があることが分かる。
2羽できて、なかよく1つのみかんを一緒に食べているのもいれば 2か所にみかんがあるのに1羽が別のみかんを食べると、すぐそっちに行って 追い払いみかんを1人じめするのもいる。まったく意地悪というのか欲が深いというのか。 あんな目にあってよく一緒にいるなあと思ってしまう。私ならすぐ別れちゃうなんて 思いながら見ていると結構おもしろい。
今年、きているめじろは1羽は相手が食べ終わるまでじっと待っていて相手がみかんから離れると すぐ食べ始めるがもう1羽は相棒が食べ始めると自分は食べ終わったばかりのくせに またみかんにむかってくる。本当に性格があるのだと思わさられる。

めじろは姿、かたちが可愛く見えるが近くでみていると結構、目がこわい。 黒い目のまわりの白がおかしい。白い紙でも貼りつけたようだ。あの白いところはなんだろうと 調べてみたら、短い羽毛だそうだ。
そして舌を花の蜜やみかんにさしこんで甘い汁を吸っているのだ。 ただくちばしをさしこんでいるとばかり思っていたが調べてみればいろいろなことが分かってくる。

もうすぐ春。めじろが庭にやってこなくなる日も近い。そしてみかんもなくなる。

ハナ


 2/12 原発事故に思う
2月11日、「さよなら原発1000万人アクション」とうたう集会が東京で行われた。
新聞、テレビで報道されることがめっきり少なくなってきている福島原発事故だが みんなの心の片隅に沁みついているのではないでしょうか。 考えるのが恐ろしいので頭の片隅に追いやっているだけなのでは。
野菜を見ても、果物を見ても、魚を見ても、これ大丈夫かなと思ってしまう毎日。 「そうだ、もう放射能の影響を心配する年じゃないんだ。何食べても大丈夫」と 自分に言い聞かせる毎日。しかし若い人、子ども、これから生まれてくる子どもが かわいそう。私たちの怠慢と無責任のせいで、ひどい時代を生きなければならない。

国の政策で原発は推し進められてきた。電力会社はどんなに採算が合わなかろうと 原発にかかる費用はすべて電気料金に加算されるので痛くも痒くもなく積極的に 原発を作ってきた。 今回の事故で一番の責任は勿論国と東電にあるが原発の危険性に目をつぶり 原発を許してきた私たちにもあると思う。
まず、自分のことから言えばはるか昔に市民団体の催しで原子力についての講座を 受けたことがあった。その時に受けた衝撃を思い出す。原発の危険性と非人間的な 構造に居ても立っても居られない様な気持ちになった。
「こんなことをしていてよいのだろうか」と 「電気をあんまり使うと原発を作られてしまう」等と家族に言っていたものだが月日がたち 何も変わらない日常にいつしかならされてあきらめへと変わってきてしまった。
この自分にも知っていて何もしなかった責任はおおいにある。
「安全だ、安全だ」と宣伝され経済発展と快適な生活にかかせないと信じ込まされ 疑ってみようとも、自分で考えようともしなかった人にも責任がある。
福島の人にも責任がある。国と電力会社から沢山のお金をもらい危険に目をつぶってしまった責任。 すごく良い物だったらなぜあんなにも原発立地へお金をばらまくのでしょう。あやしく危険だからお金を 使わなければできないと分かっているからです。
権力を持ているものの言うことは疑ってみるものだと痛切に思います。 まず自分で考えることがどんなに大事か。なにが真実なのかを見極める力を持つこと。 これを今回の原発事故であらためて思い知りました。
ハナ



11月20日 映画「赦し その遥かなる道」を見て
先ごろ(11月20日)アムネスティ湘南グループは映画「赦し その遥かなる道」の上映会を行いました。
上映後に考えたことを少し書いてみます。
映画は韓国のテレビ局SBSが最初テレビドキュメンタリー作品として制作した後、 映画に作られた作品です。韓国で2003年に実際に起こった無差別連続殺人事 件と他の殺人事件の被害者家族が事件後どのような毎日を送っているかを描いて います。何の関係もない犯人に金持ちそうだからと言うだけで、母、妻、一人息 子を殺され毎日を悶え苦しみながら生きる父親の「コ・ジョンウオン」さんを主 人公にし、同じ犯人から兄を殺され、それがきっかけになり兄、弟を自殺で失い、 兄弟3人をいっぺんに失った「アン・ジュサム」さん。
元恋人により殺された一人娘の両親。それぞれが壮絶な毎日を送っている。
コ・ジョンウオンさんは犯人を「赦す」道を選んだため娘たちに拒絶され、世間か らも変わり者扱いを受けながらも自分自身の生を全うしようと世間と自分自身と闘 っている。
アン・ジュサムさんは犯人への憎しみと復讐の気持ちをささえにして毎日を生きている。 娘を殺されて、父と母は「赦し」と「絶対に許さない」との気持ちの間で日々ゆれ 動きながら苦しく悲しい毎日を生きている。 それぞれの気持ちが痛いほど伝わってきます。
そして映画を見ている私たちにどう生きるかを問いかけてきます。 その選択は今まで生きてきた道のりと、作り上げてきた人格と知性に左右されると思います。 「赦し」の道を選択したコさんにはいつの日か平安が訪れ生きる希望が湧いてくるのではと 思わされます。「憎しみ」を糧にしているアンさんは見ていてとてもつらいし、いつまでたっても 幸せになれないような気がします。アンさんは今も薬にたよってつらい毎日を過ごしているそうです。

上映会後、数日経った日の新聞に松本サリン事件の被害者である河野義行さんの記事が掲載され ました。オウム事件公判終結にあたっての心境を聞いたものでした。
このなかで河野さんは「恨んでも幸せになれない」と言っていました。私は「あっ、やっぱりそうなんだ」 と思いました。そのことを考えていた殆ど直後にこの言葉を読んだので導かれたような気がしました。
映画のなかのコさんと一人娘を殺された父と母を救っているのは信仰ですが国も社会も犯人を死刑に して、それで一件落着のように済ましている。しかし犯人が死刑にされても被害者の日々の 苦しみと悲しみは少しも変わらないのではないでしょうか。
被害者が加害者と同じように差別される社会を変えて、被害者への精神的、経済的な支援こそが重要。 犯人を死刑にしろと声高に叫ぶ人で被害者救援をしている人はいないと韓国の現実を聞いたことがありますが このことは多くのことを物語っているように思われる。
映画のなかで非常に印象に残ったのは死刑囚2名にインタビューする場面です。この2名の死刑囚が とても清々しい顔をしていて、かって暴力団で人を殺した人には到底見えない良い顔をしているのです。 獄中で真人間になって人間として成長したことがうかがえます。このような人を殺してしまって 良いのだろうか。
真にいろいろなことを考えさせられる映画です。
ハナ




 
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